自由連想。
キーワード: あり得ない状況,トレース小説家というのは,どのように小説を書いていくのだろうか。何人もの登場人物がいて,ある状況があって,それを展開させて行く。だいたい,人格をいくつも保持するのが大変だ。私のように,他人の気持ちが分からないような人間は,他人の人格を作り出すということが想像できないのだ。
小説というのは,ある人格を持つ登場人物がいて,その人物が,あり得ない状況に放り込まれることから始まる。その状況は,状況というのはすべてそうだが,時系列で並んでいるものである。状況を説明するのに,過去からずっと並んでいる時系列の最初から説明していると,人生が終わらない。どこから書き出すかはきわめて重要であるが,極めて困難でもある。
小説というものが面白いのは,そのあり得ない状況に陥った人間が,何を思い,どうやって対処していくかを見ることができるという点にある。自分とは違う状況におかれた人間は,自分とは違う反応を示す。その行動をトレースする。得られるものは何だろうか? 実は何もないのではないか。
元記事は
マグロ:71キロ釣った! 三浦・小6女子の小菅綾香さん、沖縄で初挑戦 /神奈川
「もっと大きな魚を釣ってみたい」と願っていたところ先月下旬、俳優の梅宮辰夫さんに誘われて出演したテレビ番組で大物のマグロ釣り挑戦が実現した。父親裕二さん(48)が同行した。裕二さんは三浦市三崎町小網代の釣り船「丸十丸」の船長。裕二さんによると、綾香さんは3歳から乗船してさおを握っている。
待望のマグロは久米島沖で狙っていた2日目に掛かった。しかし、途中から綾香さんがリールを巻いても糸がびくともしない状態に。綾香さんの力だけではリールを巻けないと判断した裕二さんが糸を指でたぐり寄せながら親子で力を合わせ、マグロを船の近くの水面まで引き寄せ釣り上げたという。
綾香さんのマグロと梅宮さんのマグロを刺し身にしたところ計750人分あった。
なのだが,そこから http://news24.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1214457363/
>梅宮辰夫さんに誘われて
>綾香さんは3歳から乗船してさおを握っている
>がびくともしない状態に
>綾香さんの力だけでは
>けないと判断した裕二さんが
>指で
>たぐり寄せながら親子で力を合わせ
>梅宮さんのマグロえらい文だよなw
という風に読み取る力がすごいよ。
自由連想。
キーワード: 砂上の楼閣,土台,主張を決めない,書いているうちに見つける最初にタイトルを書かなければならないのがつらい。何も考えずに,1日中文章を書き続けることができたら,新しい自分に出会えるかもしれない。新しい自分ではなく,単に疲れた自分であるかも知れない。Voxに書いた文章は読み返すことが少ない。それは,見直すことなく書き流しているからだろう。中心になる主張もないし,脈絡もない。だから,この文章で何がいいたいのかが伝わってこないのである。
それもそのはず。何がいいたいか分からないから書いているのであるから,である。書いているうちに言いたいことが見つかるというのが,この自由連想による文章作成の目的なのだから。自分の思考を,思考したままに,文章として固定していく。そうすると,そこに土台ができて,その土台から次の段階に進むことができる。「砂上の楼閣」であってもよい。楼閣を作るためには,砂の上に,硬い土台を作る必要がある。もし,足元がくずれてしまっても,楼閣全体が崩れるのではない。楼閣の形は保ったまま,傾いたり,横倒しになったりするだけである。すべてが砂に帰すわけではない。
だから,少しでも,なにかの手がかりを残して行くことに意味がある。話し始めてから,ようやく何が自分がいいたいことなのかを知ることはよくあること。それを独り言で綴っていこうというのが,この文章の目的なのである。
久しぶりに自由連想。
雨が降っている。今日は風が強くて,桜吹雪が巻き起こっていた。昼食のとき,食事を一緒にした人が,「そういえば金さんの刺青は桜吹雪じゃないんだってね。女の生首だって。」と言っていた。そんなもの見せられたら,印象に残るどころか,ドン引きである。それを奉行所でも見せているとすれば,かなりの変態だ。それからこんなことも言っていた。「馬に乗っている足利尊氏の絵は,本人じゃないんだってね。下っ端の偉そうなやつみたいですよ。」そうなのか。本当にそうなのか。土器を埋めてドキドキしてしまった教授のおかげで,かなりのウソの歴史を覚えてしまった。過去の事実は変わらないのに,過去について書かれた(事実と称される)ものは変わって行ってしまう。正確になるのであれば,それはそれでいいのだが,一旦覚えてしまったものは簡単には忘れられない。困ったものだ。
過去は変えられないが,過去についての記述は変えられる。一般的な歴史についてみれば,これは困ったことなのだが,個人的な歴史-自分の過去-については,いいこともある。自分が幼いころに受けたことでトラウマになってしまっているものである。その事実を思い出し,子供の頃の解釈ではなく,現在の大人になった自分が解釈をしなおすのである。子供の頃はひとつの方向からしか見られないことも,広い視点を持てるようになった現在なら,ほかの方向からも見ることができる。そうすれば,トラウマが起こす恐怖を和らげることができる。これを自分でやるのはなかなか大変な作業だが,文章にできれば,少しは楽に進めることができる。