過去は変えられないが過去の記述は変えられる
久しぶりに自由連想。
雨が降っている。今日は風が強くて,桜吹雪が巻き起こっていた。昼食のとき,食事を一緒にした人が,「そういえば金さんの刺青は桜吹雪じゃないんだってね。女の生首だって。」と言っていた。そんなもの見せられたら,印象に残るどころか,ドン引きである。それを奉行所でも見せているとすれば,かなりの変態だ。それからこんなことも言っていた。「馬に乗っている足利尊氏の絵は,本人じゃないんだってね。下っ端の偉そうなやつみたいですよ。」そうなのか。本当にそうなのか。土器を埋めてドキドキしてしまった教授のおかげで,かなりのウソの歴史を覚えてしまった。過去の事実は変わらないのに,過去について書かれた(事実と称される)ものは変わって行ってしまう。正確になるのであれば,それはそれでいいのだが,一旦覚えてしまったものは簡単には忘れられない。困ったものだ。
過去は変えられないが,過去についての記述は変えられる。一般的な歴史についてみれば,これは困ったことなのだが,個人的な歴史-自分の過去-については,いいこともある。自分が幼いころに受けたことでトラウマになってしまっているものである。その事実を思い出し,子供の頃の解釈ではなく,現在の大人になった自分が解釈をしなおすのである。子供の頃はひとつの方向からしか見られないことも,広い視点を持てるようになった現在なら,ほかの方向からも見ることができる。そうすれば,トラウマが起こす恐怖を和らげることができる。これを自分でやるのはなかなか大変な作業だが,文章にできれば,少しは楽に進めることができる。