敏感になるための環境
今日の内省。
嬉しいこと,ワクワクすることが沢山起こることを想像してみよう。今までで嬉しいことって何かあっただろうか。子供が生まれたこと? 女とのセックスに成功したこと? 性交に成功? ふふふ。
よく考えてみると,嬉しいこととワクワクすることは別のことだ。ワクワクすることは期待することだ。今までどんなことがあっただろうか。思い出せない。ワクワクすることがなかったのではないかと思えるくらいだ。日記に書いてこなかったから,その記憶の糸を手繰り寄せることができない。だからといって何も感じない日常が続いていたわけでもない。すべては日常の中に埋め込まれている。自分で感じなくしているだけなのだ。
しかし,すべてのことに感じるようにしていたのでは身がもたない。感じるようにするには神経をむき出しにする必要があるが,普段の生活でむき出しにしておくにはリスクが大きすぎるのだ。それを長年の経験から学んだ結果が今の状態なのだ。では鈍感になってしまったのか? 正確には「鈍感にしている」だろう。敏感になるべきシチュエーションを選択しているだけなのだ。
ある一定の状況に自分の身を置くときに,敏感になる。敏感な神経を外気に触れさせるのだ。その一定の状況を作り出すには,儀式が必要だったりするのだが,それをコントロールできるようになっていることが大切なのだ。楽器を演奏するには,ケースから楽器を取り出して構えるまでが儀式になる。自分の心の状態を変えるために外の環境を使う。その環境を作り出すのは自分のコントロールなのだ。