偽の充実感
今日の内省。
今日も何も成果があげられず,ただ無駄に時間が過ぎていくだけだ。無駄な時間は,ソーシャルブックマークやメールのチェックにあてられるだろう。他人の記事をぼーっとして読み,少し違うと思いながらも,書き手の言おうとしていることを汲み取ろうと努力するだろう。そして,その真意が最も現れている表現を見つけようとするだろう。しかし,それには多大な努力を必要とするのであり,私の体力と時間の2つを同時に奪っていく。体力と時間を使うことは,ある意味で仕事であり,そうして過ごした後は適度な疲労感と充実感に満たされる。しかし,そうした幸福の感覚とはうらはらに,冷静になってみて何もしていないことに気づくと絶望が襲ってくる。今日1日は休暇ではなかったのか。他にする仕事はなかったのか。疲れたフリをして雑用をすべて妻に押し付け,自分だけの世界に浸っていたのではないか。浸ることはある意味でいいことである。そこから何かが生み出されていれば,必要なことだ。何事も成し遂げるには集中する長い時間が必要であり,その時間はどっぷり浸かって,邪魔されないことが大切だ。そうすることで,精度の高い成果物が得られ,その成果物は他人の役にも立つものになる。そのことにより,単なる自己満足ではない,他人を巻き込んだより大きな満足が得られるのだ。問題は,その集中している時間,そのときの姿は,他人によって振り回されて没頭している姿と見分けがつかないことである。見分けがつくのは自分自身である。そこでストップし,探すことをやめなければならない。本当に必要な探索だけに時間を使うべきだ。必要でないものを追い求めても,それは時間と体力の浪費でしかない。
気になった表現: 絶望が襲ってくる,無駄に時間を過ごす,体力と時間を同時に奪う